概要

設立1949年:近畿予備校
2017年:kinyobi医進
所在地京都市上京区烏丸通今出川下る梅屋町475
費用入塾金10万円
授業料70万円/年
※前期・夏期・後期・直前講習全て込
対象既卒生
形式少人数
生徒数分かる方は教えて下さい

解説

  • 今や伝説となっている近畿予備校である。
  • 京都市に位置する70年以上もの歴史を持つ伝説的な予備校である。
    • ただし、現在は規模が縮小され、私立医学部専門の医専になっている。
  • 明確な栄枯盛衰があり、近予備の歴史は大学受験の歴史である。
  • 元々は「近畿予備校」の名であり、1970年~1980年代には現在の常識では考えられない合格実績を上げていた。
    • 京大や京都府立大学医学部に強く、関西圏の国公立大学を中心に毎年300人以上もの合格者を出していた時期もあった。
  • 1982年の合格実績は、定員1300名のうち、京大合格者265名、医学部合格者347名であった。
  • 今でいうところの駿台医系クラスであり、ここ出身の年輩医者は多い。
  • 上記最盛期には1300名程度の定員を持っていた。
    • この時、理科3クラス、医科1クラス、文科1クラスで合計1300名。
  • 1990年代以降は三大予備校の進出により規模縮小傾向となる。
  • 現在、定員は全盛期の10%以下となり、既卒生対象の私立医学部受験専門予備校として運営している。
    • にもかかわらず学費は100万円以下であり、元関西の雄のプライドが感じられる。
  • ただ、本来はこれぐらいの授業料で成立するのであり、他の医専がどれだけぼったくりなのかがよくわかる。
  • 「近畿予備校」と聞くと1980年代から1990年代の過熱した受験戦争が思い起こされ、懐かしさが蘇る。
  • 今でこそ小規模で知名度も落ちたが、かつては全国区の名物講師もいた。
    • 永井・橋本・下妻・山本・福崎など
  • 1990年代頃までは、入塾試験が非常に難しく、各地域のトップ層が入ってきてた。
  • ここ出身の医者は多い。そこが単なる医専とは違う。世代によっては駿台並み。
  • 駿台もクラスによってはレベル高いんだろうが、私立文系のような遊び半分の奴もいる。1300人全員が京大コースで同じ講師から授業受けている近畿の方が一体感があった。
  • KEC近畿予備校というものが大阪にあるが、近畿予備校とは全く関係がなく、知名度を利用したネーミングである。合法なのであろうか。

実績

  • 灘・甲陽学院・北野・大阪星光学院等有名校出身者も多かった。鶴丸・鹿児島ラサールとかの人もチラホラ…
  • 全校生約1300人のうち京大に400人近く受かっていた。その上に国公立医学部多数。
  • 共通一次本番の数学で計算ミスをしでかし、200点満点のところを175点ぐらいの得点で、全国平均は上回ってはいたものの、近畿生内での偏差値は40あるかないかだった。
  • 数だけで言えば57年生は京大や医学部に大量合格しているはず
  • 京大工農の不人気学科や地方新設医大には底辺でも受かった
  • 共通一次対策を予備校としてはしていなかったのに平均850くらいあった
  • 地方大の医学部受けた奴は数学の問題が簡単すぎて悲しかったそうだ
  • 京大・医、京府医大に30~40名合格してた頃は、私学の大阪医大には100名前後合格してた。
  • 府医に入学してみたら、4割くらいが予備校の同窓生だったのにはもっと驚いた。大学の休み時間には予備校にいるのかと錯覚したくらいだ。

昔の講師

  • 下妻はじじい特有の話し方で聞きづらかった記憶がある。体系物理は当時うすい。
  • 席が一番前の奴がノートをとらなかったため下妻が激怒したことがある。
  • 永井の口癖 某ラージS なつかしい。旺文社の傾向と対策 数?
    の著者佐藤の解法をいつも馬鹿にしてたなあ。
  • ただ、化学の山本の前期教材が数研出版の化学(受験編)ていううすっぺらい教材だけだったのには、目を疑った。
  • 福崎の授業のペースは遅すぎた。no more than とnot more than
    についての講義は今でも鮮明に記憶している。日が暮れるかと思った。 実質、近畿は永井数学特化の予備校だったのだろう。 永井がいなくなり落ちぶれたのは自然なのかもしれない。
  • 英語はやっぱり橋本がよかった。授業は実質、 訳を読むだけで、実力養成にはならなかった けども授業中にする近畿生を励ます話は感情 がこもっていて、とても励みになった。
  • 正伝は現国の高校教師だったが定年退職して57に近畿に来た。本人の意気込みとは裏腹に講義は人気がなかったが俺は小論文対策は受講していた。受講者が少ないので添削までしてくれた、医学部には小論文あるところも多かったからな。
  • 主任は橋本、夏期講習のテキストは「高級英文研究」だったと記憶している。
    • 入試直前の最終講義では三高寮歌「紅もゆる」をフルコーラス披露されていた。
  • 82年度福崎担当の科目名は「分析英文解釈」。文法も担当してたっけな。福崎が駿台に移った83年のとある日、橋本が授業中、いきなり福崎批判っぽい自筆文を読み始めたのを覚えている。
  • 倫社の岸田、いきなり82年夏場に“解任”され、代わりの講師が来たが、その倫社の授業中に、岸田が解任の不当さを訴えにだろな、やや興奮モードで教室乱入したことがあった。
  • 永井は、第三高等学校→京大理学部数学科卒(昭和20年)の、永井康孝だ。昭和20年に京大理学部数学科を卒業したのは、永井を含めわずか3人であった。いわゆる超エリートだな。

懐古

  • 教室は確か本館1階がロビー兼受付で2階が理3、3階が医科、4階が文1、 新館1階が理1、2階が理2やったかな?
  • あの頃はなんか財政的に問題があってか?烏丸側の校舎がシャッター下ろしてて、講義の時だけ通用口みたいなとこから入ってたよね。で、永井の数学が午後からあるときは午前中からその扉の前で席取りの列を作ってたなぁ。なんかアットホーム感の強いとこだった。
  • 近畿の横に平安予備校とか京大スペシャルとかいう建物があったな普段は社会科の授業に使われていた。向かいにはYMCAがあったな
  • 橋本は近畿の少し南にあった小さな喫茶店のコーヒーがなかなかうまいと言っていた。福崎はいらなくなったらウォークマンくれと講義で言ってた。英語の講義で録音してる奴たくさんいてたもんなぁ。
  • 中庭にはハンバーガーの自動販売機もあったと記憶している。近くのマクドの方がはるかに美味かった。
  • 近畿予備校は自習室の雰囲気も最高でした。周りの皆さんにひっぱっていかれているみたいな雰囲気がありました。
  • 大学入学当時、出身校は?問われれば「近畿予備校」と答えてました。これは先輩方や我々後輩の賜物と思い、まさに母校にふさわしく誇りに思っていました。そして関東の医学部だったので近畿のすばらしさを語っていました。
  • 俺がいた82年当時は歩いていける範囲に3軒も風呂屋があった。ところが84年に行くとすべて地上げされてマンションになっていた。京都の地価上昇は激しかったのだろうな、風景まで変わってしまっていた。
  • 公立のやつらは最初はなんていうか小山の大将的な感じで自身満々だったけど京都の洛星とか他府県の難関私立からきてる子らと一緒に勉強しているうちにすごくおとなしくなっていったのを覚えている。公立出のかれらにとってはあまりにもいままでいた世界(ぬるま湯)とかけ離れていたのでしょう。
    • おれも公立だが近畿のレベルの高さには驚いた。中高一貫の私立や大教大付属や公立でも北野など大都市の奴は鍛えられている。
  • 家庭教師していた馬鹿ボンのために、近畿の替え玉受験していた奴がいた。そこまでして入りたい予備校だったってこと。
  • 東館3階大教室の思い出といえば、秋の永井担当「3題完全主義アプローチ」。授業が終わるのが午後8時すぎ、夜空に浮かぶ月星をみながら京都御苑の砂利道を歩いて帰宅してたな~。あと新堀の日本史も東館3階の大教室だったような…
  • 何かの春のガイダンスで、骸骨みたいな事務長と、永井の愛人と噂されていた教務課長が教室にやってきて、「うちの予備校からは毎年京大医学部に40人、府立医大に40人、滋賀医大にも40人が合格してます。つまり・・・(と言いつつ机を指差しつつ)えーこの列は京大医学部、この列は府立医大、この列は滋賀医大あっ失礼しました。」という、滋賀医大をバカにしきったパフォーマンスだ。

規模縮小

近畿の全盛期はたぶん駿台大阪校ができる直前あたりだと思われる。当時は大阪や兵庫あたりからもTOP層が流入してたんだけど駿台大阪校 ができてから大阪や兵庫の連中が減少した。これがまず第一の原因。その状況に対して予備校側は顧客層の拡大を図る代わりに従来の高学力層に 固執し学生定員削減を行った。また高校生対象のコース講座を全く行っていなかった。
共通一次時代はまだよかったもののセンター試験導入によって学生の現役志向が強まり東大京大も現役比率が大幅に上昇すると従来レベルの学生(浪人)を集めるのが困難になり、現在の経営路線であるマイナー医歯薬専門予備校路線に転換。高校生コースも設置するが河合塾代ゼミの進出もあり地元京都の公立高校にも洛南洛星にも見向きもされず。
結果として現在の超マイナー予備校となってしまったのだとおもわれる。

2006年

  • この時点でかなり縮小が進んでいた様子である。以下全文引用
  • 2006年度医進アカデミーコースも無事開講しました。総勢8名の少数精鋭です。内訳は医学部3名,歯学部1名,獣医学部4名です。去年よりまた人数は少なくなりましたが,誠心誠意がんばっていきます。他の塾,予備校もはじまっていると思いますが,すでに合わないと感じている人もいるはずです。そういう方,是非一度ここをのぞきに来て下さい。少人数制から超少人数制になりました。料金は変わらず。

参考文献

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  • 神ページ!! -- 2021-03-11 (木) 07:57:41
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