東京都の高校
番手分類 †
- 入学偏差値、進学力による分類が行われている。
- この分類は公式なものではないが、「事実上の標準」と言える。
- 2010年代からの都立高校のレベル向上により、その難易度は上昇している。
- 一番手校は、オール5でもバンバン落ちる
- 二番手校は、オール5の生徒も多くいる。
- 三番手校は、オール4とオール5の間ぐらい、4の方が多いのならば受けないほうが安全
現在の制度 †
入試制度変革 †
1952年:学区合同選抜制度 †
1952年から1966年まで実施された。
1940年より学区制が導入され、この時点では4学区に分かれた。学区の縛りは緩やかであった。1945年に7学区、1949年に10学区に分かれた。
1952年、上記の学区制をベースとした学区合同選抜制度が導入された。学区合同選抜制度というのは 都内の学校を7学区に分け同一学区内の高校毎に試験を実施したものであり、同一学区内の高校は合同して選抜を行い、学区全体の募集人数分の合格者(学区合格者)を決定。その中から、希望にしたがって各学校の合格者が決定された。
1960年代中盤以前、東大合格者の上位は日比谷高校、西高校、戸山高校、新宿高校などの都立高校が上位を独占していた。その牙城を崩すターニングポイントになったのが1965年の東京都の通達だ(小山通達)。中学校における入試準備教育の重視を是正するため、「入試を目的とした教育ではなく、各領域の調和のとれた教育を行うこと」などを謳った通達が出されたのだ。これにより学校群の導入に動いていくこととなる。ちなみに、この時期の都立高校の序列は次のようになっていたようだ。
1965年当時の都立高校の序列
1967年:学校群制度 †
1967年から1981年まで実施された。
1967年、「都立高校であれば、どこでも同じ教育を受けられるようにする」という狙いで学校群制度が導入された。1965~1966年にかけて都立高校の東大寡占、都立目当ての中学越境が問題視され小尾乕雄教育長(任1960~1967)が上述の『小尾通達』を出した。この構想が出たのが1966年であり、PTAや生徒会の猛反発があったにもかかわらず、1年もしないうちに学校群の導入となった。この頃の時代背景として、受験戦争の過熱があった。特に下記ナンバースクールには入学希望者が殺到し、名門校の住所地に住民票を変更して受験するということもあった。また、灘高等学校をはじめとする私立中高一貫校の躍進があった。灘は1966年に東大96人、1967年委は初の3桁である112人を記録した。それを詰め込み教育と揶揄して、詰込教育批判への対応から学力試験の科目数が9科目から3科目へと削減され、9科目の内申と学力試験とを実質的に同等に評価することとなった。この受験科目の切り替えにより都内の中学生たちは大混乱に陥った。学校群とともにこの3教科受験も注目されるべき点であろう。
結局、受験戦争の波には勝てず、平準化というよりは有力私立高校への人材流出が起きた。私立高校は中高一貫校だったりするので、中学受験熱が加速した。高校入試で好成績をあげても、志望校に入れるとは限らない場合、生徒のモチベーションは下がる。折しも進学指導を強化する私立高校が 次々に台頭。その多くが中高一貫化を図ったことによって、成績上位層 は中学段階から私立校に入学するようになっていく。進学実績面で突出 した都立高校は少なくなり、往年の面影は薄れていった。
進学面で考えると愚策と評されるこの学校群制度であるが、進学に力を入れなかった分だけ学校行事が充実し、「学校生活は楽しかった」と評す当時の学生も多い。ただ、「学力以外で生徒を評価する」ことは現在でも難しく、このような方針を1960年代に導入したことは時代を先取りしすぎたのかもしれない。特に当時は現在のように情報の不均一化が高度であったろうし、入学した高校によって進学先は決まってしまう。となると、進学力のない高校は見切りをつけられてしまうであろう。一方で現在は高校の環境以外にもネットで大学受験情報を得られ、講義も受けられるため、当時ほど高校の環境のみに依存してはいないだろう。今ぐらい情報の均一化がなされていたら結果は違っていたかもしれない。
当時の群分類 †
- 第一学区(千代田区、港区、品川区、大田区)
11群 | 日比谷、九段、三田 |
12群 | 赤坂、城南、八潮 |
13群 | 大崎、南、雪谷 |
14群 | 小山台、田園調布 |
15群 | 大森、羽田 |
91群 | 一橋、忍岡、竹台 |
- 第二学区(新宿区、渋谷区、目黒区、世田谷区)
21群 | 新宿、駒場 |
22群 | 戸山、青山 |
23群 | 広尾、都立大学附属、目黒 |
24群 | 桜町、玉川、深沢 |
25群 | 千歳、千歳丘、松原、明正 |
92群 | 赤城台、文京、向丘 |
- 第三学区(中野区、杉並区、練馬区)
31群 | 武蔵丘、鷺宮、練馬 |
32群 | 西、富士 |
33群 | 豊多摩、杉並、荻窪 |
34群 | 大泉、石神井、井草 |
- 第四学区(文京区、豊島区、板橋区、北区)
41群 | 小石川、竹早 |
42群 | 北園、豊島、板橋 |
43群 | 大山、北野、志村 |
44群 | 北、城北 |
92群 | 文京、向丘、赤城台 |
- 第五学区(中央区、台東区、荒川区、足立区)
51群 | 京橋、日本橋、紅葉川 |
52群 | 上野、白鷗 |
53群 | 江北、足立 |
91群 | 忍岡、竹台、一橋 |
- 第六学区(墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区)
61群 | 両国、墨田川、小松川 |
62群 | 本所、葛飾野、南葛飾 |
63群 | 深川、東 |
64群 | 江戸川、小岩 |
- 第七・八・九学区(多摩地区)
71群 | 南多摩、富士森、日野 |
72群 | 立川、国立 |
73群 | 北多摩、昭和 |
74群 | 武蔵、三鷹 |
75群 | 府中、神代 |
76群 | 小平、久留米 |
1983年:グループ合同選抜制度 †
1982年から1993年まで実施された。
本制度導入にあたって学区の再編と3教科から5科目への変更が行われた。実質的に一つの学区として扱われていた多摩地区は4つの学区に分割された。「グループ合同選抜」と言われる点として、学区内の高校を2つのグループに分け、調査書と学力検査でグループ合格者を決定した。第一志望校が不合格であっても、グループ内で定員に達していない高校に希望順位をつけて三校まで第二志望とすることができたのだ。都立高校全盛期を築いた学区合同選抜制度に倣ったものであるが、グループに分けることで特定の高校への過集中を緩和させる目的があった。そのうえで、学校群制度では「合格しても希望の高校に入学できるかわからない」という欠点を解消するために、合格後、第一希望には確実に入学できる制度となった。また、そこに不合格になってもグループ内のどこかの高校には引っかかるという点で、私立高校受験の必要性は減った。
しかし、東京都立高校の実績比較にもあるが、グループ選抜を開始して、東大合格者指標では着実に進学実績は悪化した。1982年には都立高校の都内での合格者割合26%であったが、1993年には11.7%に減っている。
グループ分類 †
- 第一学区(千代田区、港区、品川区、大田区)
11グループ | 九段、一橋、日比谷、赤坂、城南、三田 |
12グループ | 大崎、小山台、八潮、大森、田園調布、南、大森東、雪谷、羽田、蒲田 |
- 第二学区(新宿区、渋谷区、目黒区、世田谷区)
21グループ | 赤城台、戸山、青山、新宿、広尾、駒場、都立大学附属、目黒 |
22グループ | 桜町、玉川、千歳 |
- 第三学区(中野区、杉並区、練馬区)
31グループ | 鷺宮、富士、武蔵丘、荻窪、杉並、豊多摩、西、永福 |
32グループ | 井草、大泉、石神井、練馬、光丘、大泉北、大泉学園、田柄 |
- 第四学区(文京区、豊島区、板橋区、北区)
41グループ | 小石川、竹早、向丘、豊島、文京、北、城北 |
42グループ | 板橋、大山、北園、北野、志村、高島 |
- 第五学区(中央区、台東区、荒川区、足立区)
51グループ | 京橋、日本橋、紅葉川、上野、忍岡、白鷗、竹台 |
52グループ | 足立、江北、淵江、足立西、足立東、青井、足立新田 |
- 第六学区(墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区)
61グループ | 墨田川、本所、両国、葛飾野、南葛飾、水元、隅田川堤校舎 |
62グループ | 深川、東、城東、江戸川、小岩、小松川、葛西南、篠崎、紅葉川 |
- 第七学区(八王子市、町田市、日野市)
71グループ | 富士森、南多摩、片倉、八王子東、八王子北、館、日野台、日野、松が谷、南平 |
72グループ | 町田、忠生、野津田、成瀬、小川、山崎 |
- 第八学区(立川市、青梅市、昭島市、福生市、東大和市、武蔵村山市、秋川市、羽村町、瑞穂町、日の出町、五日市町、檜原村、奥多摩町)
81グループ | 北多摩、立川、昭和、拝島、東大和、武蔵村山、武蔵村山東、砂川、東大和南 |
82グループ | 多摩、青梅東、福生、秋留台、羽村、五日市 |
- 第九学区(武蔵野市、小金井市、小平市、東村山市、国分寺市、田無市、保谷市、清瀬市、東久留米市)
91グループ | 武蔵、久留米、久留米西、保谷、武蔵野北、小金井北、田無 |
92グループ | 小平、小平西、東村山、国分寺、清瀬、清瀬東、小平南、東村山西 |
- 第十学区(三鷹市、府中市、調布市、国立市、狛江市、多摩市、稲城市)
101グループ | 三鷹、神代、調布北、調布南、狛江 |
102グループ | 府中、府中西、府中東、国立、永山、稲城、南野 |
1994年:単独選抜制度 †
1952年の合同選抜制度から始まり、40年にもわたって東京都は高校入試制度を改革してきた。学区、グループ、群といった枠組みで選抜し、単独の選抜は行わない旨は共通していた。しかし、1994年以降は単独選抜を行い、しかし、学校ごとに選抜の方法を変えてもいいという方針となった。
- 選抜資料:学力検査と調査書の比率は6:4、5:5、4:6の中から学校単位で選択。
- 傾斜配点:高校の「特色」に応じて教科ごとの配点を変えることができる。
- 面接・実技:必要に応じて実施することができる。
- 学区:20%の枠で隣接学区からの受験を認める。
傾斜配点と面接・実技は専門コース設置校等の『特色ある教育課程』をもつ高校にのみ当てはまるものなので、普通科の高校は傾斜配点と学区外受験の項目が当てはまる。しかし、選抜資料の比率についてはほとんどの高校が学力検査6の比率を選んでおり、『多様な尺度』からはほど遠い結果となった。また,隣接学区受験枠の拡大についても、実際にこの枠を利用した受験生は平均して5%程度に過ぎなかった。今でも「旧第○学区」などという言い方があるのは、この当時の名残だ。2003年から学区がなくなり、自由に出願できるようになった。そうは言っても遠いと通学の制約が出るので、今でもある程度旧学区を参考として進学校事情を語ることもある。
- 以下に旧学区の分類を示す。
学区 | 区、市 |
一 | 千代田区、港区、品川区、大田区 |
二 | 新宿区、渋谷区、目黒区、世田谷区 |
三 | 中野区、杉並区、練馬区 |
四 | 文京区、豊島区、板橋区、北区 |
五 | 中央区、台東区、荒川区、足立区 |
六 | 墨田区、江東区、葛飾区、江戸川区 |
七 | 日野市・八王子市・町田市 |
八 | 立川市・青梅市・昭島市・東大和市・武蔵村山市 福生市・あきる野市・羽村市・瑞穂町 日出町・奥多摩町・檜原村 |
九 | 武蔵野市・小金井市・西東京市・東久留米市 小平市・東村山市・国分寺市・清瀬市 |
十 | 国立市・三鷹市・調布市・狛江市 府中市・多摩市・稲城市 |
2003年:全都一学区 †
2003年以降は学区制度が廃止され、いわば都立高校の自由競争が実現されたのだ。以降、都立高校は復権していく。ただ、結局、大学受験の成績は良くなるのだが、中学校教育の受験勉強傾倒化、高校間の教育レベルの格差、教育の意機会均等に反すること問題となるのだ。
栄枯盛衰 †
戦後まもなくから高度成長期にかけての東京都内の進学コースで有名なものに「番町小学校⇒麹町中学校⇒日比谷高校⇒東京大学」があった。当時の都立高校には有名大学へ大量の合格者を出す進学校が数多くあった。日比谷高校のほかにも新宿区にある戸山高校、立川市の立川高校などがそれだ。これらは日比谷高校と並び、戦前の旧制府立中学。いわゆるナンバースクールと呼ばれた学校だ。当時も私立の麻布高校や開成高校などの有名校は存在したものの、都立高校が優秀な生徒を集めていた。
その後都立高校は、新しい入学者選抜方式として、1969年に学校群制度を導入。このとき同時に学区制を採用したことで、ほとんどの都立高校で学区外の学校の受験が認められなくなった。当時の東京都の小尾乕雄教育長が唱えたのは「富士山よりも八ヶ岳」。学校間の格差を減らし、いろいろな学区で複数の優秀な学校を作ろうとしたのである。しかし教育長の思惑とは別に結果として、日比谷や西といった都立のガリバー校は凋落。残念ながら都立高校はかなり低い八ヶ岳になってしまった。その一方で、都内それぞれのエリアとそのエリアの中心となる進学校の位置づけを明確にすることにつながっていった。下町の都立名門校であった上野高校や白鷗高校、両国高校、墨田川高校などの進学校も、台頭し始めた私立高校に優秀な生徒を奪われ、進学成績を落としていくことになる。
その後、都立高校の入学者選抜方式はその後、幾度かにわたって改変され、現在では都内どこからでも「単独志願」で学校を選べるようになっている。1993年度入試までは、自分が住んでいる学区内の都立高校しか、原則として受験できなかった。1994年度入試からは、20%の枠で隣接学区から受験することができるようになった。今でも「旧第〇学区」などという言い方があるのは、この当時の名残だ。2003年以降は都立高校において学区の縛りがなくなった。隣接学区からの受験を認めた1994年度。この結果は散々だった。
この枠を利用した受験生は約5%。学区を超えて名門校に殺到する、ということにもならなかった。しかも受験倍率は1.14倍と過去最低水準。日比谷や戸山は受験者全員が合格。西も2名の不合格者しか出なかった。それもそのはず。前年1993年春の大学入試、日比谷高校からの東大合格はたった1名。なお東大合格2名の年もあり、1998年と1999年だった。1990年代、まともな大学に行きたければ、私立や国立高校に行く。これがこの時代、教育熱の高い家庭の標準的な考え方だった。その元凶ともいえるのが学校群制度とグループ合同選抜制度。これにより昭和後期の都立高校人気はガタ落ち。私立高校への受験生流出が一気に加速した。
現在は各学校に特色を持たせるために進学指導重点校、進学指導特別推進校などの指定や小石川中等教育学校(旧都立小石川高校)のような中高一貫校も設置されるようになった。一時、東京大学合格者数が一桁台に落ち込んでいた日比谷高校の48名を筆頭に国立高校26名、西高校19名が続く。注目すべきは、進学成績を落としていた下町の名門校、白鷗高校が6名、都市部の学校で、こちらも一時期進学成績が低下していた青山高校が7名、小石川中等教育学校も12名の合格者を出している。一方、郊外人口の増加の流れに乗って進学成績を伸ばしていた立川高校は3名、八王子東高校に至っては進学指導重点校であるのにもかかわらず合格者が0名になっている。
公立でも私立でも、今は都心部にある学校ほど、良い生徒が集まる傾向にある。そりゃ誰でも通いやすい高校がいいに決まっている。
中高一貫校 †
東京都では、中高一貫校と言えば私立高校であったが、2005年の白鷗高等学校の一貫化を皮切りに続々と一貫化の流れができ、現在は11校もの一貫校がある。さらに、全ての併設型一貫校の高校募集を停止し、中等教育学校化する流れだ。
- これまで高校募集をしていた都立の併設型中高一貫校5校が2021、2022年で高校募集を停止し、中等教育学校に変わる。2021年は都立富士、都立武蔵が高校募集を停止、2022年以降は都立両国、大泉の高校募集停止。白鷗はどちらかの年度と公表されていた。2021年5月27日、東京都立白鷗高等学校・附属中学校の高校段階での生徒募集停止と中学校段階での生徒募集規模拡大の予定年度を2023年度に決定した。
- 上記は流動的である。1番手でも、日比谷>西>>>国立と、歴然とした差がある。戸山高校は立地も良く、数年後には国立と立場が逆転している可能性もある。
- 小山台は三番手トップ。武蔵野北、小金井北 調布北も三北と呼ばれ三番手上位と考えられている。多摩科学技術高校は日本一と呼ばれる研究設備で理系志望者にはオススメ。推薦入試に強い。
旧制府立中学校 †
施策 †
男女問題 †
合格ラインの差 †
- これまでも幾度となく取り上げられたが、2021年に合格最低点の男女差の議論が本格化した。
- 東京都立高校の普通科の一般入試は、募集定員を男女に分けて設定しているため性別によって合格ラインが異なる。都教委は毎年30~40校を対象に是正措置を講じているものの、2015~20年に実施した入試では、対象校の約8割で女子の合格ラインが最終的に高かったことが、都教委の内部資料で判明した。1000点満点で最大243点上回るケースや、男子の合格最低点を上回った女子20人が不合格とされた事例もあった。
- 都立高は全国の都道府県立高校で唯一、男女別の定員があり、各校とも都内の公立中学の卒業生の男女比に応じて決まる。合否は中学校が提出する内申点(300点満点)と、国数英理社の筆記試験(700点満点)の合計で決めるが、合格ラインは男女で異なる。
- 2015年度入試では、是正後の合格最低点が243点も女子が男子を上回るケースがあった。2020年度入試でも、女子が男子より50~70点余り高い学校が少なくとも4校あった。
- ただ、男子の方が高得点になる場合もある。
男女枠廃止 †
近年の動向 †
都立高校倍率低下 †
2022年中学入試において、都立中高一貫校の倍率が4倍台にまで下がった。飛ぶ鳥を落とす勢いの小石川中等教育学校ですら4.15倍であった(元々6倍台後半で推移)。都立中高一貫校は2000年代に興隆し、私立より安い学費で6年間の一貫教育を受けることができるということで受験生が殺到した。都立の中高一貫校は、6倍や7倍といった一時期の人気からはやや落ち着き、3倍から5倍程度に推移している。2022年度全体の平均倍率を見ると、前年度比0.47ポイント減の4.40倍となった。両国(6.7→4.5倍)、大泉(5.7→4.2倍)、桜修館(5.8→4.8倍)、南多摩(4.9→4.1倍)の4校は昨年から倍率を急降下させた。前年から上昇したのは富士、立川国際、三鷹の3校のみで、実に10校中9校の倍率が5.0を切る異常事態となっている。
この倍率低下の背景にある者は私立高校の巻き返しである。従来は私立中学受験の問題と公立中高一貫校の適性検査では傾向が大きく異なるため、併願は難しいとされていた。しかし、現在は思考力を問うような適性検査型の出題をする私立中学も増加した。中には、好成績を収めれば中学校の授業料を無料にする特待生制度を設けている学校もある。さらに、2020年度に実施された「私立高等学校授業料の実質無償化」の制度改正により、対象となる年収の範囲が増え、世帯収入によっては私立高校無償化の対象にもなる。つまり、成績優秀であれば都立中高一貫の併願で私立の中学校特待生枠を狙い、さらに高校無償化の対象も適用されれば高校の学費もかからないといったシミュレーションも成り立つようになったのだ。
ESAT-J †
- 2023年入試に向けて、東京都教育委員会が、都立高校入試に「ESAT-J」という「前受けテスト」の導入を進めることにした。
- これはタブレットを使ったスピーキングテストである。タブレットに向かって話しかける、ちょっと特徴的な内容となる。東京都内の公立中学校3年生を対象とし、11月27日に実施される。これが都立高校入試の一部に反映されるのだ。
- 聞いただけでも論外な内容であり、当然多方面から大きな反発がある。
- 最も懸念されるのは、この前受けテストを受けない「不受験者」の扱いである。「ESAT-J」は受験者全員に必須とされているわけではない。事実上必須とされているのは都内の公立中に通う生徒のみで、それ以外の生徒は不受験でもOK。都内公立中の生徒に、原則として選択権はない。
- 不受験者に得点は、2月に行われる本番の学力検査の「英語の筆記、リスニングテストの合計点」が「同じ得点」、あるいは「前後の得点」をとった「他の受験生のESAT-J(スピーキングテスト)の点数」を複数用いて、その平均点によって決められる。つまり合否に関わる自分の点数が、自分と同じ得点、あるいは「前後の得点」をとった「他の受験生のスピーキングテストの点数」によって決まるという、極めて特殊な点のつけ方なのである。
- 極端な話、不受験者でも他の人の点数がよければ受験者以上の点数がもらえると。逆もある。つまりは運なのである。
- そもそも、受験自体が一発勝負の再現性の低い勝負なのだから、さらに不確実性を高めてどうするうのだという話である。
- しかも、英語のスピーキングの能力なんて帰国子女が有利なだけで、中学時点での本人の努力なんてほとんど関係ない。こんな無意味なテストを導入するよりも数学の比重を高めろ。
塾講師招く †
- 東京都教育委員会は2023年度、高校生の大学進学を支援するため、民間の予備校や学習塾の講師を都立高に招いて講習を実施する方針を固めた。生徒の受講費用は都教委が負担する。経済的な事情で十分な受験対策ができず、進学や希望する進路を諦める生徒を減らす狙いがある。
実績比較 †
東京都立高校の進学実績
模試 †
首都圏高校入試模試
コメント †